読んでいて面白い

読んでいて面白い_f0042295_1417654.jpg

学生時代に読んだ『大学への日本史』って名著が更に読みやすくなって東洋経済新報社から出版されました。







勿論~娯楽としての三谷幸喜さんの大河ドラマ『真田丸』や尾崎士郎先生の『真田幸村』など歴史小説も楽しいんですが…






あくまでも冷徹に通史を辿っていくと一本の線路みてぇなモノが頭の中へ浮かんできます♪







巻頭に佐藤優氏の推薦文があって近年の注目されている沖縄に関する記述を読んでいて想い出された事があります。





「琉球貿易」そのころ琉球(沖縄)は仲介貿易に従事し、日本にも明や南洋諸国の産物を転売していた。それまで小国家が分立していた沖縄では、15世紀初めに尚巴志が出て首里に統一政権をつくった。尚氏は、1414年(応永21)年に室町幕府に遣使して、9世紀以来とだえていた本土との公式交渉を復活した。1469(文明1)年、尚円王が政権をにぎって第二尚氏となり、3代の尚真王(在位1477~1526)のときに、奄美大島から宮古島にいたる諸島を支配し、琉球王国が確立した。





大事な箇所!テストに出ます(笑)此処です!!!『奄美大島から宮古島にいたる諸島を支配し…』喜界島なども琉球王国の領土であるという事実。島津薩摩でもなく、ましてや中国(明)でもありません。アメリカ合衆国なぞは誕生してねえし(笑)






熊野大花火大会クルーズに乗船した時に、にっぽん丸クルーズデイレクターの永井さんが喜界島の出身で、『自分は島んちゅです!』と誇らしげに仰っていたのがとても印象的でした。







文化庁・文化芸術による子供の育成事業でお邪魔した喜界島での様子は此方をご覧ください。(過去ブログ記事2015年6月12日~13日)






「解説」1441年(嘉吉1)年、足利義教は島津氏に琉球を与えたといわれるが、このころ、沖縄を支配していたのは琉球王国で、琉球は独立王国として明の文物を取り入れ、仲介貿易にあたっていた。なお、第二尚氏は、1871(明治4)年の廃藩置県まで、沖縄を支配した(引用者註※正確に言うと、廃藩置県の翌1872年に琉球王国・尚泰は、日本政府によって琉球藩王に命じられ、琉球藩が設置された。1879年に琉球藩が廃止され、尚泰は強制的に東京に移住させられ、沖縄県が設置された。この過程を「琉球処分」という)。







去年11月の落語協会・寄席普及公演(過去ブログ記事・2015年11月4日~10日)でお邪魔した~与論島や沖永良部島での打ち上げでの地元の人たちの本音トークも印象的でした。沖永良部島での打ち上げでのこと。黒糖焼酎のお湯割りを呑みながら西郷隆盛が流罪になった事に絡めて質問してみました。あの晩のブログ記事には敢えて書きませんでしたが…(それだけワタシの心の中で整理する時間が必要だったのかもしれません)







『我々は島んちゅ。無理やり鹿児島県に組み込まれているが、本当は沖縄と一緒に本土復帰したかったな。なんで?与論島で線を引くの?沖縄本島はすぐ其処!目の前だよ!其れが証拠に高校野球の甲子園では鹿児島県代表は絶対に応援しない!沖縄県代表を応援するよ!西郷隆盛達は勝手にやって来て(西郷どんにしてみれば流罪になった訳ですがね)、サトウキビだのみんな薩摩へ持っていく。鹿児島じゃあないよ!島んちゅ!』





※『島んちゅ』とは沖縄県民~詰まりは琉球王国。






琉球王国が日本の他の地域とはまったく異なる過去の歴史を持つことを、引用した記述や沖永良部島での打ち上げ本音トークは簡潔に伝えています。書物を読み、自らが現地で盃を酌み交わしながら話をすることで初めて理解デキる歴史街道。






もう一度学んでみよう!忍耐力(笑)