一所懸命

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鶴岡八幡宮へ。
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源頼義(八幡太郎義家の父)が建立したのが基。
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修学旅行生や観光客の方で賑わいを見せる境内。
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吾妻鏡によると、義経逃亡中、鎌倉方に拘束された静は頼朝と政子の要請で舞を披露する事になりました。




『よし野山 みねのしら雪 ふみわけて いりにし人の あとぞこひしき』




『しつやしつ しつのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな』




舞を舞った静御前は義経の子を身籠ってました。産まれた男の子は命を奪われました。




白拍子を妻に出来るのはステイタス。天皇や清盛や義経は出来たのに…頼朝はそれさえ叶わなかった。

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何故ならば…政子が愛人宅を襲撃するから。これはマジで。(苦笑い)




※ 因みに教科書でも有名な神護寺の肖像画は足利直義(足利尊氏の弟)だと言う説が出てきています。




平氏と比べて源氏は同族で殺し合う歴史です。これもマジ!


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畳の上で亡くなったのは八幡太郎義家だけ。あとはもう親兄弟で殺し合い。(汗)




先日読みました『女系図でみる驚きの日本史』大塚ひかり著の中で、





義経が、何故アレ程!!!!!兄の頼朝に恐れられていたか?





女系図を作れば分かるという結論に妙に納得。





後家としての常盤御前の地位の高さが理解出来ると、


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その息子の義経が、当時かほどに重んじられ今なお大きな存在感を保っているのかが腑に落ちる。




義経の身分を低く見積る現代人は頼朝側の印象操作にまんまとハマっている。ほほう!(笑)
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八幡宮の『八』の字は向かい合う鳩の姿デス♫
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源実朝は雪の中…甥の公暁(兄・頼家の息子)に殺されました。階段を下りながら想像しちゃって(汗)
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鎌倉幕府を成立した源頼朝のお墓へ。鶴岡八幡宮から横浜国立大学教育学部附属小・中学校の前を歩いて…
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白旗神社を参拝。丸に二引き・笹竜胆は源氏の紋。




新田・足利・武田・島津家も源氏の系統。
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島津家の先祖・忠久の実父は源頼朝と言われています。尊卑分脈や島津家譜や系図纂要など。
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うわ~立派な百合の花が!笹竜胆の紋所。
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源希義は頼朝の同腹兄弟です。母親は熱田大宮司従四位下・藤原季範の娘と言われています。





左馬頭・源義朝の妻で3人の子を産んだのは





この女性(藤原季範の娘)と今若・乙若・牛若丸(源義経)の母親である常盤御前の二人。




平治の乱の際には後家として、存命中は常盤御前だけ。頼朝は先妻の子という事になる。




義朝の敵である平清盛に三人の幼子を連れて身をもって命乞いをした。




タフな女性だ。平治物語によれば、常盤御前は厳選された美女だった。美しい女性だったのな。
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北条義時のお墓と大江広元のお墓も訪ねました。
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北条義時は政子の弟で、二代執権。承久の乱でも活躍した武将。





和田義盛を挑発して挙兵させて滅ぼしたのは北条義時。





頼家の息子・公暁をそそのかして実朝を鶴岡八幡宮で暗殺し、公暁も殺された…





正に血で血を流した鎌倉の歴史。鎌倉を散策するたびに大河ドラマ『草燃える』を思い出す。





因みに北条時政の北条氏は平家の流れです! ほ~ら平氏が(笑)
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鎌倉幕府の公文所(のち政所)の別当(長官)が大江広元デス。





大江広元の紋を見て…気がつかれましたか?





そうです!【一文字に三ツ星】毛利家の紋!!!!!。毛利はナント~大江広元の子孫でござんす♫
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鎌倉宮を参拝した後は後醍醐天皇の皇子である護良親王のお墓参りへ。





八幡太郎・源義家の孫である義康を祖とする源氏の名門・足利尊氏は





京都の六波羅探題を滅ぼし、全国の武士の統制権・指揮権を握りました。





この尊氏の動きを警戒して征夷大将軍になったのが、護良親王(もりながしんのう)です。





尊氏は鎌倉に居た弟の足利直義に引き渡して護良親王を幽閉させます。





中先代の乱のどさくさ紛れに護良親王は足利直義に殺されてます。





静かに手を合わせてまいりました。鎌倉宮は明治天皇が建立されたもの。





ところで~武士の時代…『一所懸命』と云うキーワードが生まれます。




一つの所領の為に命を懸けるのが由来。





まさにその一生懸命…イッチョウ懸命! 





いざキャバクラ(鎌倉)!(笑)