2017年 09月 21日 ( 2 )

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昨日の朝一番でお邪魔しました大田文化の森『森で言葉を楽しみましょう』のお集まり。




亡くなったNHKアナウンサー塚越恒爾さんの遺産で、御手伝いさせて頂きました♫




『源平盛衰記』を洋服姿・立ち高座で。



スタッフの皆さんから『柳朝さん〜偶然!平家物語を声に出してやろうとしてたのよ♫』




おお!ワタシも勉強します(笑)さっ!皆さん…御一緒に。





【祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる者も久しからず、唯春の夜の夢の如し。勇き者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。】ここ迄はワタシもスラスラと…σ^_^;




この後だ。【遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高・漢の王莽・梁の周伊・唐の禄山、是等は皆旧主先皇の政にもしたがはず、楽しみをきはめ、諌めをも思ひいれず、天下の乱れん事を悟らずして、民間の愁ふるところを知らざっしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。近く本朝をうかがふに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、是等は驕れる心も勇き事も、皆とりどりにこそありしかども、まぢかくは六波羅の入道先の太政大臣平朝臣清盛公と申しし人の有様、伝へ承るこそ、心も詞も及ばれね。】





では要約。この世は常なく変わっていくものと祇園精舎の鐘は響き、盛んな者は衰えると沙羅双樹の花の色は告げる。奢れる者久しからず、春の夜の夢こどくはかない。猛々しい者もやがて滅びるのは風に漂う塵と同じである。



遠く外国の例を尋ねてみると、秦の宦官の趙高らはいずれも本来の政(まつりごと)を行わず、楽しみを極め、諌めを聞かず、国を乱して人心が離れ滅びた。近くは日本でも承平の乱の将門らが武力によって世を乱し、奢れる心も猛悪な事もとりどりだったが、最近の平清盛と申す人の奢り高ぶり猛悪なさまは想像も及ばず筆舌に尽くしがたい程だ。




平家物語の主人公は間違いなく敗者。平清盛であり、木曾義仲であり、源義経なのな。

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北海道の生みの親である松浦武四郎の特集を観ました♫
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三重の松阪の出身で、若い頃から全国各地を放浪して丁寧に絵や文章で記録をしていた松浦武四郎。




冒険心のある彼が目指したのは『蝦夷地』!
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写真が無い時代に此れだけ立体的・空間的観点から絵図を残している情熱に心を打たれた。
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あの吉田松陰も『奇人呼ばわり』(*≧∀≦*)
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アイヌ民族に対しても非常に寛容で、幕府の役人が抑圧していたのにも異をとなえた書物を出版しようとして差止めにあった事実などにも興味を持ちました。歴史教育でクローズアップすべき。こういう寛容な懐の深い先人がいらっしゃったのは日本人として誇らしい!




この正確な蝦夷地絵図を視て〜矢張り!現在ロシアに実効支配されている北方四島も日本の領土で、択捉島と得撫島の間が国境線であったとハッキリ理解出来ます。
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北海道は元々〜『北加伊道』だったのか。北加伊道➡北海道(驚き!)





道案内をしてくれたアイヌ民族が『この土地に生まれたもの』と云うアイヌ語『加伊』が由来。




磯田先生の『郡県制』に組み込む事はせずに(中央集権の及ぶ北限は青森県まで)その先にある『道』と命名した松浦武四郎の思いがよく表されていると言う言葉に感銘を受けました♫