カテゴリ:歴史にキュンと恋して!( 108 )

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NHKのBS歴史番組で『石橋湛山』の特集を観ました。





高校時代に親父から『読んでごらん♫』と石橋湛山の著書を渡されました。戦時中にこんな大胆な提案をペンで堂々と主張する文章に驚きましたし、感銘を受けたのをよく覚えてます。




歴史の授業では近代史は殆ど駆け足で終わってしまいます。




司会の磯田先生がおっしゃっていた『現代の日本人が国際社会で、どうあるべきか?』を1人の人間の生き様で理解出来る数少ない人物が石橋湛山だ。




いま一度読んでみよう。




湛山は僧侶・思想家からジャーナリスト・政治家へと生きた方。その頑固で筋を通した中にも明るく柔らかいしなやかさと楽観的な希望を忘れない人間性に魅かれます。

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土曜日に『源平盛衰記』をネタおろしします。平家物語や数多くの歴史書を読んでいて平安時代の様々な事が見えてきました。教科書に書いてある上っ面だけの記述では『何故?其処で揉めたのか?』が理解出来ません。。・°°・(>_<)・°°・。





何故?いま…政府が召集した有識者会議で今上陛下の譲位(マスコミは生前退位と呼んでますが…)を一代限りの方向にしようとするのか?歴史を学べば理解出来ます。




源平の合戦になっていったのは…天皇家の院政(法皇や上皇による政治)や男女関係や親子関係を巡る愛憎劇が原因だったのね。ドロドロしていてスゴいよ。(苦笑い)




世間では【恒久的に退位出来る様に法整備が必要】との意見もある様ですが、ワタシは反対の考えです。平安時代の院政を調べると皇位を巡って内紛に発展した歴史があるから。親子や兄弟間で揉めるのよ。陛下や皇族の方々も1人の人間だから。今上陛下の年齢や御身体の事を考慮すると一代限りの譲位は自然な流れだと思いますが。




皇太子殿下に皇位を譲位された陛下の呼称は『上皇』でしょう。
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御近所の金川珈琲さんに植物学者である牧野富太郎先生の色紙が!






大田区山王にお住まいだったのか。94歳で亡くなられたから、最晩年の色紙♫



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中村獅童さんの歌舞伎案内番組を観ました。楽しいです♫



花道の七三(しちさん)はこの辺り!『蛙茶番』の中で、舞台番である建具屋の半公が尻っぱしょりしているのは(笑)
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因みに蛙の鳴き声は貝殻を擦り合わせて効果音を出してるのな♫
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雨音は大太鼓でも表現しますが、このパラパラ雨音もよりリアリティがある!
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波音も大太鼓でも表現しますが、ラジオドラマでもお馴染み!
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中は小豆だ(笑)
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歌舞伎座の舞台から客席を見ると…お客様方の顔はハッキリと判別できる。寄席と一緒。油断されているお客様は直ぐに(笑)
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『武助馬』でもお馴染みの馬!前脚と後脚にそれぞれ大部屋の役者が担当。張子の馬ん中でオナラをすれば臭い!ξ
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漕いでみてぇ(笑)
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黒門亭がハネてから国立博物館へ。春日大社に奉納されている国宝や重要文化財を鑑賞♫
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特に赤糸威大鎧(あかいとおどしおおよろい)などの甲冑鎧兜国宝4点が勢揃いする最終日だったんで観に行こう♫
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国宝 金地螺鈿毛抜形太刀(きんじらでんけぬきがたたち)!
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春日燈篭のエリアは写真撮影OK。大仏に、鹿の巻筆、あられ酒、晒、奈良漬け、奈良茶粥、春日燈籠、町の早起き…
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青春18きっぷで奈良を訪れましたが、春日大社は式年造替中でござんした。直江兼続が寄進した春日燈籠も見たな。2013年8月30日の過去ブログ記事をご覧ください。
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旅心が疼く(笑)
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白金台にある八芳園へ。三遊亭時松さんの真打昇進お披露目パーティーの打ち合わせ。
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江戸時代は大久保彦左衛門の下屋敷跡♫
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打ち合わせ後に2人でお庭を散策。樹齢100年〜300年の盆栽がズラリ!(◎_◎;)
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サクラサク♫
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2人で目黒駅前まで移動して、ラーメン『藤しろ』で。素材にこだわった優しい味わいの一杯でござんした。
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先日…お邪魔した登呂遺跡の写真を間違えて消去してしまいました。。・°°・(>_<)・°°・。
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いま一度記録の為にアップしときますね。
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安倍川の洪水でそのまま砂州の下へ弥生時代の暮らし振りが遺っていたという訳。
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高床式倉庫の鼠返し。収穫した米を守って置く為に出来た先人達の知恵♫ 小学生の頃に爪楊枝で工作しました(笑)
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祭壇は初めて観たかな。
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水田跡からは富士山や南アルプスの雪景色がキレイに見えました。



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昨夜は静岡倶楽部さんの新年会でお喋り。浮月樓は大政奉還をした15代将軍・徳川慶喜公が住んで居た屋敷跡にある料亭。
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カメラに夢中になったり粋なお殿様。因みに静岡と云う地名は幻の将軍[徳川宗家16代当主になった徳川家達公]が命名。



賤機山と云う小さな山が有りまして、その賤機山の『賤』と云う漢字は身分の貴賤やいやしいと云う語感がよくない事から『静かな山〜静かな丘』『静岡』と(笑)



慶喜公は水戸徳川家から一橋家へ。家達公は田安家のご出身。色々ある(爆笑)
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静岡PARCOではこんな寄附願いも!



肝心のお仕事もきっちりと♫ (^_−)−☆



色々なご縁がまた繋がりました♬

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昨日〜カミさんと入った祇園辻利の『都路里茶寮』で頂いた薄茶『十徳』♫





最近〜Facebookを始めて、調子に乗って抹茶の写真なんぞをアップしたら茶道に詳しい先生に…




『不審菴の点て方ではないですなぁ。』
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不審菴? 何だ?初めて聞いた言葉だぞ!(笑)




表千家のことなのか!出た~千利休♬  (◎_◎;)




写真の様にクリーミーに全体が泡立てる感じは裏千家の作法♫
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表千家(不審菴)は半月を表したようにお茶を点てるそう。そう言えば点てて戴く薄茶によってこの違いあったね。何の問題意識もなく飲んでいた(苦笑い)




不審とはいぶかしいと云う意味なんだそうな。勉強になりました。奥が深い。すげぇよ… (≧∀≦)




因みに表千家は『茶道・さどう』裏千家は『茶道・ちゃどう』と呼ぶそうです。




カルチャーショック!

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今朝の産經新聞に新元号に関する記事が掲載されてました。平成31年の元日から新しい元号になるのか。昭和生まれのワタシも平成から新しい元号へと歴史の移り変わりを経験する事になります。保守合同を推進した緒方竹虎氏が朝日新聞・新米記者だった頃に『新元号は大正!』とスクープしたのは戦前の事。
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歴史が好きで〜アレだけ山川出版社の詳説日本史を読んでいたつもりでも、江戸時代後期の光格天皇の事を殆ど知りませんでした。不勉強で恥ずかしい… (>_<)



明治天皇の曾祖父にあたられる方。
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高校時代〜受験生にとって、江戸幕府の改革“享保の改革~田沼意次の重商主義~寛政の改革~天保の改革”にばかり焦点が当たって朝廷に関して授業で触れられる事は殆ど無いです。いや…札幌旭丘高校時代〜石黒先生【現・札幌開成高校の校長】は触れていたかも。(苦笑い)クローズアップされるのは孝明天皇から明治天皇への移行期。石黒先生が孝明天皇の毒殺説も歴史学会ではあることを語っていたのは何となく覚えています。
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この時代にも皇統の危機があったのな。この光格天皇が『天皇』という称号を約900年振りに復活させた事実もこの記事で初めて確認。 じゃあ〜何とお呼びしてたのかな? 『みかど』かな?『天子はん』?   f^_^;

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松平定信の寛政の改革の頃に江戸幕府とやり合う光格天皇の記述があった!




(以下抜粋)1789(寛政元)年、朝廷は光格天皇の実父である閑院宮典仁親王(かんいんのみやすけひとしんのう)に、太上天皇(だいじょうてんのう)の尊号【詰まり略して上皇】を宣下したいと幕府に同意を求めたが、定信はこれを拒否した。武家伝奏(ぶけでんそう)ら公家はふたたび尊号宣下を求めたが、定信は本来武家伝奏は幕府側に立つべきとして、公家を処分した(1793〈寛政5〉年)。この一連の事件を『尊号一件』と呼ぶ。この事件の対処をめぐる将軍・徳川家斉との対立もあって、定信は老中在職6年余りで退陣に追い込まれた。この事件を契機にして、幕府と朝廷の協調関係は崩れ、幕府による統制機構は幕末まで維持されるものの、天皇の権威は幕末に向かって浮上し始めた。

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閑院宮家や有栖川宮家のルーツはこの時代か。矢張り我が国にとって、皇室の存在意義は大きいと実感しました。





また天皇が位を譲る譲位というキーワード。退位というのは日本史の教科書でも使ってません。退位という表現には違和感を覚えます。山川出版社『詳説日本史』でも…





1629(寛永6)年、体調を崩していた後水尾天皇は、紫衣事件をきっかけに、幕府の同意を求めずに突然『譲位』した。幕府はつぎの天皇が、秀忠の孫である明正天皇となることもあり『譲位』を追認したが、その際、幕府は摂家と武家伝奏に厳重な朝廷統制を命じた。こうして家康以来推し進めてきた朝廷統制の基本的な枠組みが確認され、幕末まで維持された。





歴史は奥深い。