讀賣新聞の朝刊・一面に大平洋戦争開戦前夜の東条英機首相の様子を記した
湯沢三千男内務次官のメモが発見されたと記されています。
いま読んでいますが、歴史的に貴重な資料。
1941年7月28日 軍事物資調達のため南部仏印(フランス領インドシナ)に進駐。
翌年、アメリカ合衆国が石油の対日禁輸などの措置。
9月6日 御前会議。対米戦準備を決定。昭和天皇が平和を願う明治天皇の和歌を詠みあげる。
10月18日 東条内閣誕生。昭和天皇の意を受け、外交交渉による対米戦回避の再検討開始。
11月27日 中華民国、仏印からの撤兵、三国同盟の廃棄などを求める
ハル・ノートの内容がアメリカ合衆国から届く。
12月1日 御前会議。日米開戦を最終決定。
12月7日 昼頃、東条英機が昭和天皇と面会。
午後8時半から、東条英機が湯沢三千男内務次官らに自身の胸中や天皇とのこの日の面会について伝える。
午後11時20分、湯沢三千男が東条英機の話をメモ用紙に記す。
12月8日 未明、日米開戦。真珠湾攻撃。
アメリカ合衆国は日露戦争のポーツマス条約締結辺り(セオドア・ルーズベルト大統領)から、
すでに将来的に太平洋の覇権を巡って日本との戦争を想定して準備していた事を知りました。
真珠湾攻撃の際の大統領はフランクリン・ルーズベルト。皮肉なことに二人の大統領がルーズベルト家。
今回の湯沢三千男のメモ用紙から『すでに勝った』という東条英機の発言に驚きました…
以下抜粋
総理は微醺(ビクン)を帯び ※微醺は…ほろ酔い気分
『全く安心セリ。斯クノご如キ状態ナルガ故二既二勝ッタト言フコトガ出来ル。』
と必勝ノ信念ヲ吐露サレタリ。
島国日本だけに国際的な観点から現状を把握しなければならない宰相が
非常に狭い視野だったのが残念です。