カテゴリ:歴史にキュンと恋して!( 129 )

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ノーベル賞受賞のニュースで湧いてますが。




ノーベル文学賞の選考過程のウラ側に関して色々と判って来た事も。
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ドナルド・キーン氏が三島由紀夫に関して『彼は未だ若い。受賞するチャンスはある…』として候補にあがりながら受賞を逃した経緯や。





谷崎潤一郎も有力な候補であった事実。
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2人同時受賞の検討もあった事など大変に興味深いです♫

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35年前か…




大韓航空機がサハリン沖でソビエト軍の戦闘機に撃墜された事件。




ワタシは中学校1年生(札幌市立平岸中学校)でした。




アメリカ合衆国のシュルツ国務長官が記者会見をしているのを覚えてます。





人の命をこんなに簡単に奪えるものなんだ…と憤りを覚えた。

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ノモンハン事件の詳細に関して今回初めて知りました。




ドローンから撮影したモンゴルの大地に残るのは塹壕跡。




ナスカの地上絵ではありません。
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NHKスペシャルでは司馬遼太郎さんからの言葉から始まります。
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歴史の授業では近代史(特に戦史はたった1行で名前・年号を覚えればまだ良い方)はページが少ない。
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モンゴル国では『ハルハ河戦争』とノモンハン事件の事を呼びます。
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此れはスターリンの指示で周到に準備されたソビエト社会主義連邦軍の塹壕跡。





弥生時代の登呂遺跡ではありません。79年前に日本とソビエトが戦火を交えた戦争の爪痕デス。





近代化された戦車がこの塹壕へ1輌ずつ潜んだ。

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ノモンハン事件ってぇか…事件ではなく戦争でしょう?





帝国陸軍は敢えて事件と読んでますが、此れは間違いなく日ソ開戦!






青色が関東軍。





赤色がソビエト・モンゴル軍。圧倒的な兵力量の差!(汗)
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欧州戦線ではヒトラーがスターリンと『独ソ不可侵条約』を締結し、ナチスドイツはポーランドへ侵攻。





その隙にスターリンは極東の満州へ兵力を増強。





ノモンハン事件が起きた当時は平沼騏一郎内閣。





昭和天皇や元老・西園寺公望は極端な国家主義を主張していた平沼騏一郎を危険人物と視ていました。




陸軍大臣は板垣征四郎(せいしろう)。




板垣征四郎は関東軍高級参謀として、満州事変の端緒となる柳条湖事件を主導した人物。




板垣が大佐、石原莞爾(いしわらかんじ)は陸軍中佐。




板垣征四郎は東京裁判でA級戦犯として絞首刑に処せられます。




後々の『靖国神社A級戦犯合祀』問題において板垣の存在がクローズアップされます。




息子の板垣正・参議院議員(当時)が『合祀取り下げ(分祀)』に取り組んだ。




同じくA級戦犯の木村兵太郎(へいたろう)陸軍大将の遺族と話し合った結果です。




しかし東条英機元首相の遺族はこれに反対し、分祀は頓挫する。





『世界最終戦論』満洲国建国を進めた石原莞爾は公職追放はされたが、東京裁判でお咎めなし。





石原は『満州事変を起こした私が、なぜ戦犯ではないのか』





石原莞爾に関しては改めて…
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ソビエト軍はシベリア鉄道で近代化された戦車部隊や航空機をノモンハンへ集結させていました。


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関東軍参謀部で勝手気ままな戦略を立てて実行した人物が写真の辻政信(まさのぶ)陸軍大佐。




半藤一利さんの著書や戦史歴史書や帝国軍人の証言を調べていますが…総じて悪評が多い。




半藤一利さん曰く『強行で好戦的な奸智を併せ持った軍人』と。





絶対悪!!!!!という言葉で辻政信を斬っている。
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関東軍歩兵は銃剣と火炎瓶のみの白兵戦。
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先程のドローンから空中撮影したソビエト軍の塹壕に関東軍から見えないように潜む戦車部隊の様子。

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旧ソビエト軍に保管されていたフィルムをカラー化して高速戦車部隊の様子も判ってきました。
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関東軍の戦車より銃口が大きくスピードが速い。
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こりゃ速い! 日露戦争の203高地の様な肉弾戦では勝てんだろうが
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辻政信は現場の部下達へ究極の精神論で叱咤激励しましたが、





ソビエト軍の近代化された兵器部隊や航空機などの圧倒的な兵力情報を知らないまま作戦を立案。





戦闘をしていた事実が判ってきました。





辻政信の様な人間が現代の日本にも必ずゐる。





国会議員や地方議員然り、官僚然り、スポーツ界然り…


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撤退した部隊指揮官に対して…





自決を迫り、本土の遺族には『何も知らない…』
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戦後…アメリカ合衆国をはじめとする聯合国に語った関東軍参謀の音声からは信じられない発言が続きます。
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一番ショックだったのは





関東軍幹部が笑いながら…天皇陛下の事を『天さん…天さん』と呼び、





統帥権干犯問題に関しても平気で破る発言をして、自分達は戦後も何も無かった様に生き延びていた事実。





満州国崩壊で、逃げる途中にソビエト軍兵士に殺戮、暴行された民間人を見捨てて





同胞を守るべき軍人が真っ先に逃げて、言い訳をするなんと馬鹿者が多いことか。





ソビエト軍兵士の性接待をさせられた女性たちの短歌に泣きました。




守り忘れたか 関東軍 婦女子残して また今日も南下する



日本に帰りたいと 静かに眠る友の顔 一夜明ければ動かぬ人に



自決のがれて一息つく間もなし 接待に切り替えられる

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誰も責任を取らずに『知らない…記憶にない…』





現在でも同じ事がこの国であります。





皆さんも思い浮かぶでしょうか?
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辻政信はノモンハン事件に関して『負けていない!』とその著書で主張していますが…




結果的に国境線はソビエトが定める。日本軍の負けです。




辻政信はノモンハン事件後は大本営から南方戦線へ移動させられたが…





『バターン死の行進』においても中心的な立場に。辻は捕虜の殺害を伝達する。私的命令だった。





川口清健(きよたけ)陸軍少将はガダルカナル島の戦いで大本営から派遣された辻政信に屈辱を味わった。





フィリピンで捕虜となったホセ・アバド・サントス裁判官を辻が川口の命令として勝手に処刑!!!!!





※ 抗日戦争の英雄。フィリピンの1000ペソ紙幣に肖像を印刷されてます。





川口はBC級戦犯として服役しましたが…





なんと!!!!辻当人は潜伏し、帰国後に戦犯解除され、作家・国会議員として戦後も…生きていた!





『マレー上陸作戦』の電撃的勝利や無念の『レイテ島決戦』で





【マレーの虎】と呼ばれた山下奉文(ともゆき)陸軍大将が遺した言葉が印象的。




マニラ軍事裁判で、BC級戦犯として絞首刑になった山下奉文は




辻政信の事をこう述べています。





『小才に長じ、所謂こすき男にして、国家の大をなすに足らざる小人なり。使用上注意すべき男也。』





辻政信は1961年に旅行先のラオスで突然失踪。行方不明に。遺体も見つかっていません。





CIAの暗殺説も出ましたが、スパイ容疑で処刑されたというのが有力な説。
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現在に至るまでノモンハンの乾いた草原には亡くなった兵士の遺骨が残っています。
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番組内で野ざらしとなった遺骨を御遺族へ帰してあげたい。





情けないしつらいよ。


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100回記念大会の夏の甲子園。




うわー懐かしい!




バンビの愛称で親しまれた坂本さんだ♫




首が長いからあだ名は…バンビ(笑)

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なで肩だし…




ワタシも非常に親近感を!(爆笑)
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今朝のレジェンド始球式は愛知県の東邦高校で一年生投手として投げた坂本佳一さん♫




現在は名古屋市に本社がある岡谷鋼機にお勤めです。秋田家の叔父と同じじゃん。(笑)
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東洋大姫路との決勝戦ではサヨナラホームランを打たれて準優勝。

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名古屋市立猪高小学校の2年生だったワタシも応援してました♬




この真っ白な野球帽に黒いTのワッペンを父親に付けて貰って社宅の野球チームの試合へ(笑)




バンビ坂本さんは憧れでした。
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少年の頃の憧れだった選手!




当時住んでいた名古屋市名東区。ボーイスカウト愛知75団の運動会を東邦高校グラウンドでやったなあ。




妹が通っていた珉光幼稚園が東邦高校の近所。名東区平和が丘。
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今大会に岐阜県から出場している大垣日大の阪口監督が愛知県の東邦高校を率いてました。




坂本さんは東邦高校へ入学してから初めてピッチャーに転向したそうです。(笑)

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まさに記憶に残る選手!
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毎日のレジェンド始球式が楽しみ!
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素晴らしいプレーと熱戦を繰り広げてます♫



8月5日  松井秀喜(星稜) 外角低めにワンバウンド

8月6日  石井 毅(箕島) 外角低めストライク

8月7日  定岡正二(鹿児島実) 内角高めボール

8月8日  牛島和彦(浪商)  内角低めにワンバウンド

8月9日  平松政次(岡山東商)  外角高めストライク

8月10日 谷繫元信(江の川)  外角低めストライク

8月11日 水野雄二(池田)  内角低めストライク

8月12日 本間篤史(駒大苫小牧) 真ん中低めショートバウンド

8月13日 坂本佳一(東邦)  

8月14日 中西清起(高知商) 

8月15日 安仁屋宗八(沖縄)

8月16日 板東英二(徳島商)

8月17日 金村義明(報徳学園)

8月18日 中西 太(高松一)

8月20日 第一試合 桑田真澄(PL学園)

      第二試合 佐々木主浩(東北)

8月21日 太田幸司(三沢) 井上 明(松山商)

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上野のお山の戦騒ぎの実像をNHK・BSで放送で拝聴しました。





写真は彰義隊と薩長をはじめとする官軍の戦が終わった際の寛永寺境内の様子。


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西郷隆盛から指示された大村益次郎が彰義隊鎮圧の指揮を。




本郷の台地に陣取った佐賀藩のアームストロング砲が威力を発揮。





時代が変わっても戦火の後は虚しさしか残りません。

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日暮里の経王寺さんには敗走する彰義隊をかくまったんで、新政府軍の攻撃を受けた銃弾痕が!

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現在放送中の『西郷どん』を興味深く拝見してます。 ここからが面白い♬




ワタシは西郷隆盛の情に厚いところに魅かれます。





『天は人もわれも同一に愛す、故に我を愛する心をもって人を愛せよ』





しかしながら『西郷どん』の視聴率が西高東低(苦笑い)。



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徳川将軍家のお膝元である上野のお山に西郷隆盛像が建てられたのは皮肉。





スタジオの歴史家の方々が西郷隆盛の役割はこの上野戦争で終わったとの評価が多い。





なんとなく西郷隆盛とマッカーサーを重ねてしまう…





今日は長崎原爆の日。 戦争に関する本や番組に触れてみよう。

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讀賣新聞の朝刊・一面に大平洋戦争開戦前夜の東条英機首相の様子を記した






湯沢三千男内務次官のメモが発見されたと記されています。
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いま読んでいますが、歴史的に貴重な資料。





1941年7月28日 軍事物資調達のため南部仏印(フランス領インドシナ)に進駐。

           

翌年、アメリカ合衆国が石油の対日禁輸などの措置。




9月6日 御前会議。対米戦準備を決定。昭和天皇が平和を願う明治天皇の和歌を詠みあげる。





10月18日 東条内閣誕生。昭和天皇の意を受け、外交交渉による対米戦回避の再検討開始。





11月27日 中華民国、仏印からの撤兵、三国同盟の廃棄などを求める

      



ハル・ノートの内容がアメリカ合衆国から届く。





12月1日 御前会議。日米開戦を最終決定。





12月7日 昼頃、東条英機が昭和天皇と面会。




午後8時半から、東条英機が湯沢三千男内務次官らに自身の胸中や天皇とのこの日の面会について伝える。





午後11時20分、湯沢三千男が東条英機の話をメモ用紙に記す。






12月8日  未明、日米開戦。真珠湾攻撃。
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アメリカ合衆国は日露戦争のポーツマス条約締結辺り(セオドア・ルーズベルト大統領)から、






すでに将来的に太平洋の覇権を巡って日本との戦争を想定して準備していた事を知りました。






真珠湾攻撃の際の大統領はフランクリン・ルーズベルト。皮肉なことに二人の大統領がルーズベルト家。





今回の湯沢三千男のメモ用紙から『すでに勝った』という東条英機の発言に驚きました…





以下抜粋





総理は微醺(ビクン)を帯び    ※微醺は…ほろ酔い気分





『全く安心セリ。斯クノご如キ状態ナルガ故二既二勝ッタト言フコトガ出来ル。』





と必勝ノ信念ヲ吐露サレタリ。





島国日本だけに国際的な観点から現状を把握しなければならない宰相が





非常に狭い視野だったのが残念です。

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送って頂いたチケットを乗車変更して名古屋へ。


お天道様がピカ〜っ!!!
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名古屋はピーカン!
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名古屋城へ。
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加藤清正のお出迎えです!
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復元された本丸御殿へ!

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加藤清正公で御馴染みの虎が!

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この釘隠しが♫

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この職人さんの細かい作業に噺家は同じ職人として惚れる!


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米軍の名古屋大空襲で焼夷弾によって焼けた天守閣と本丸御殿を当時の詳細な絵図によって再建♫




天井の部分(白い箇所)が未だ製作途中なのが分かりますか?


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三代・家光公と十四代・家茂公が上洛した際に寝泊まりした建物を!

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此れが素晴らしかった!




嬉しい!


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ため息が…♬

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復元作業をされた職人さんに敬意を表する!

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もう感激♫

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cool JAPAN!

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復元作業をされた職人さんに敬意を表する!

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このコンクリートの名古屋城天守閣とも御別れ。





木造建築で名古屋城天守閣が蘇ります!

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今朝の産經新聞に100歳を迎えた中曽根康弘元首相が









ロッキード事件一審裁判で、実刑判決を受けた田中角榮元首相へ宛てた手紙が掲載されてます。







手紙は当時の中曽根首相秘書官から田中角榮氏の秘書に託されましたが、








同氏秘書が本人に見せなかった為『幻の手紙』ともなった。早坂さんかな?(笑)









『国を救い、党を救い、内閣を救うために、ここ一ヶ月、バツヂを外していただきこの危局を救い、








選挙に圧勝するため、御無理を承知でお願ひ申し上げるわけにいきますまいか』








なかなか興味深い手紙です。政治家って大風呂敷で言うことがクサい!(笑)







謹啓。先般は御多用のところ、御懇談の機会を賜り、篤く御礼申上ます。






※ 謹啓(きんけい)つつしんで申し上げること。拝啓より敬意が高い。






その後、大兄の御所懐の御開陳あり、誠に感謝に耐えないところであります。






※ 所懐(しょかい)心に思っていること。所感。






※ 開陳(かいちん)人の前で自分の心のなかをありのまま述べること。






大兄と小生との信と義は国家及び党の危局に臨めば臨む程、益々固く深く終生血盟を以て之を貫く決意であります






※ 大兄(たいけい)男性が自分より少し年上、同輩の男性を敬っていう語。主に手紙で用いる。






御所懐の御発表以後、党内及び国民世論に好ましき顕著な変化が現れましたことは喜びに耐えません。








本日は、旧明治節でありますが御友情に甘え私見をお目にかけます 何とぞ御寛恕の程お願ひ申上ます






※ 寛恕(かんじょ)広い心で許してください。大目に見てください。





【寛】は気持ちにゆとりがある。【恕】は思いやり。相手を思いやり許す。






一、二審裁判の晴(青)天白日を確保することが最大の急務でありますが、最近の裁判官は昔と異り世論の動向に過敏であり、







この対策も高等戦略として法廷斗争同様大切であります。第一審に於てこの面の配慮と対策が不足でありませんでしたでしょうか。








第二審以降は高級審であり、更に与論の動向、情状酌量対策~第一審でも若干示された~にも細心の注意と新な対策が望まれます






※ 与論(よろん)世論。元々は『輿論』だったのを当用漢字に置き換え。






この点御所懐の発表は適切であったと思いますが更に検討すべき方策はないか、考究すべきと思ひます







二、次に政局問題につきましては、既定方針に基づき断乎邁進いたします。






※ 断乎(だんこ)固い決意で。






※ 邁進(まいしん)ひるむことなく、ひたすら突き進むこと。






茲に注意を要することは最近の与論調査の動向であります。






※ ͡͡茲に(ここに)ここ。明治時代の文章によく登場する。







二階堂君に内調の至近調査を渡してありますが、内閣及び党、激落しており、特に、婦人、青年層にい於て顕著であります。






※ 二階堂君~二階堂進氏。鹿児島県出身の政治家。趣味は田中角栄と公言するほど。






※ 内調(ないちょう)内閣調査室。現在の内閣情報調査室。






このことは若手の多い貴派や我が派に極めて不利で、一割減っても二、三十人は激減します。






※ 貴派(田中派)。我が派(中曾根派)。







必ずしも選挙は与論調査と同じでないことはよく承知しておりますが新しい事態でありますので







若し万一敗北、著しければ、大兄と小生二人の大敗退となり政局は大混乱に陥ります。








今度こそは二人共に絶対に勝たねばならぬ運命的な一戦であります。








その上に米大統領の訪日あり、国会の空転あり、この実状をみると、国を救い、党を救い、選挙に圧勝するため、








御無理を承知でお願ひ申上るわけにいきますまいか。







御勘考賜りたいのであります。






※ 勘考(かんこう)よく考える。因みに名古屋弁で、『勘考してちょ!』は~工夫して!とか値段をマケテ!






七年前大兄は離党に際し幹事長でありました小生を御信用下さいまして離党届をお預かりいたしました








この時局に、自ら決せられるか又は米大統領来日や国情を考えられて、小生に御進退をお預けいただけまするか。








切に伏して御勘考願上る次第であります。








この一挙によって、政情は一変し、党外に於ても、党内においても、攻守は主客を転じ、








三、福は顚転し、選挙は確実に圧勝し得ると確信します。






※ 顚転(てんてん)転がること。巡り廻ること。







それは又第二審を決定的に有利にし且将来の復党に備える天元の一石になると信じます。





※ 天元の一石(てんげんのいっせき)天元は囲碁の中心にある黒い★のこと。






先般の御所懐に全国民は感銘しましたが国民的感情は決定的に信愛に転じ、








更に明年以後永久に国会に辞職決議が提出されるを封じ政治レベルでのこの件を全く解消させる結果を惹き起すこと必然であります。








又このことは選挙の日を早めてよい結果を生むと確信いたします







大兄の御交誼に甘え失礼を省みず御願ひ申上ました。






※ 御交誼(ごこうぎ)とくに友人として親しい付き合い。






旧明治節の日に首相として、宮中にて直観しましたことをそのまま友人として認めました。







※ 直観(ちょっかん)霊感もしくは哲学的な用語。







御諒恕くださいますようお願ひ申上ます






※ 諒恕(りょうじょ)相手の立場や事情を思いやって許すこと。






先般申上げましたように、小生の大兄に対する信義と友情は全く永久に不変であり








十年の計の実現に腐心いたすことも申上げた通りであります。








今や大兄と小生は共生同死、大兄の生は小生の生であり大兄の失は小生の失であり、然も、日本の命運がかかっております。








その一心で認めました小生の哀情何卒御理解下さい








小生の涙は偽りや便宜の涙ではありません。小生の大兄に対する信情は天地神明に誓っての信情であります。








何卒この拙文御嘉納下さいますよう切にお願ひ申上ます






※ 嘉納(かのう)献上品などを目上の者が快く受け入れること。






晩秋の折呉々も御自愛下さい




                
                 恐惶謹言





※ 恐惶謹言(きょうこうきんげん)恐れつつしんで申し上げる。改まった手紙の末尾に添える。






十一月三日




               


           中曾根康弘








田中角栄大兄
       

      





      玉案下






※ 玉案下(ぎょくあんか)手紙で脇付に用いる語。机下(机下)







(事後御焼却願ひます)






田中曾根内閣と揶揄されながらも、文面を読むと決意は理解できます。






それだけロッキード事件の影響で新自由クラブ結成など自由民主党の支持率低下の危機感を感じます。








あの岸信介氏も田中角栄を見舞った際に、議員辞職を進言すると…







例のだみ声で『孫が~学校で虐められますんでな~』







とやんわりと断ったそうだ。(苦笑い)







この中曾根康弘氏の文面を読んでいると、様々な意見はあるでしょうが…







総理大臣の器だったんでしょう。






選挙に何としても勝って政権を取る執念を感じる。







昨今のリーダーの語彙力不足や言い訳する姿勢にいい加減にうんざりしてます。







未曾有の(麻生太郎氏)ミゾウユウ






云々(安倍晋三氏)デンデン






と読み間違えているようでは駄目なんだ。







中曾根康弘氏が麻生太郎さんについて…








『麻生くんは漫画ばかり斜め読みしてるから駄目なんだ。』(苦笑い)







言葉や手紙から生々しい政治家の生き様が見えてくる。








面白い♬












その中曾根康弘氏へ議員引退を申し出たのが小泉純一郎氏。











福田派だ。 福田赳夫氏の雑巾がけからスタート。








父親の小泉純也氏は岸派。






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中選挙区制時代は群馬県は4つの議席を巡り烈しい選挙戦が繰り広げられました。









小泉純一郎氏の師匠は福田赳夫元総理。








歴史は皮肉なもの。










自由民主党からは福田赳夫、中曾根康弘、小渕恵三、日本社会党からは山口鶴男。








何位で当選するかが? 重要になってくるわけです。








写真のジョークグッズは(笑)










群馬県にある『ながめ余興場』へお邪魔した際に…













漫談の『風呂わく三』さんのお客様から頂いたもの。



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現在は生産していないそうなので貴重品かな?












中野ブロードウェイにある『まんだらけ』で幾ら位になるかしら?(笑)










田中角榮氏関連の書籍も併せて読んでみよう。












































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歴史番組で毛利元就の特集を放送してました。




この連判状に注目してくださいませ。




非常に気配りのできるリーダーであった事が理解出来ます♫




昨夜の日本大学の会見を観ていてアメフトの指導者(体制)の問題点がハッキリした。


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篠竹さんという名将が居て、日本大学の系列高等学校からアメフト部で指導するOBもコーチ陣として





トップダウン方式で上手く機能していた頃は良かったんでしょう。





ところが…篠竹氏亡き後にアメフト部の組織の近代化が進めば良かったが、旧態依然の精神論のみ。





此れでは戦前の軍部や反社会勢力と同じだもん。内田さんは理事もお辞めになった方がよい。





ワタシが在学中に総長選挙でも週刊誌に黒い記事が掲載された事がありました。





勇気を出して会見した学生さんが哀れだ。





毛利元就の家臣が!遺した言葉に…





【君は舟。臣は水。】





【臣能く水をくつがえす】




リーダーが駄目な時はくつがえすんですよ。(政治の世界では政権交代がそう。)




昔はよく下級生に雑務の仕事をさせ、上級生は威張って踏ん反り返るのが当たり前でしたが…




スポーツの世界や我々の世界もそうですが、上級生が進んで行動する事が組織や家族や社会も上手く行く。




毛利元就の様に家族を大切にし、家臣と同じ目線の高さで行動し責任を取るリーダーが必要なんでしょう。




サッ~洗濯物を乾燥機へ。洗い物を進んでやりましょう!(笑)

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水羊羹を観音通り商店街の『京月』さんで購入♫



よう噛んでおあがり。




水羊羹などの『羊羹』ってジンギスカン?(笑)



ひつじちゃんが漢字の中に沢山入ってます♫



羊羹の羮は『あつもの』つまりは『野菜や肉などの吸い物』。



羊羹は『羊肉のスープ』だったのな。ジンギスカンじゃん!(笑)



古代モンゴルで食べられた羊鍋の煮こごりが名の由来。



中国では禅僧の軽い昼食として食べられていたそう。



『羊肉のスープ』である羊羹は鎌倉時代〜室町時代に禅宗文化と一緒に我が国へ伝わりました。




ところが家畜の羊が居ない、仏教で肉食を禁じたので…小豆を蒸したものを羊肉に見立ててスープへ。





(じゃあ?何で中国の禅僧は肉食OKなのか?と言う疑問が残りますが。  f^_^;)





んで…小豆を蒸したものを菓子として食べるようになったのが蒸し羊羹のルーツ。




薩摩の『軽羹・かるかん』は自然薯の名産地である鹿児島で生まれた山芋を羊羹状にした菓子♬




現在の寒天を使った練り羊羹は江戸時代からで、日持ちもするので人気が出た!




羊羹は長さ六寸(約18センチ)厚さと幅が一寸(約3センチ)の細長い棒のカタチで売られたので




【棹物菓子】と呼ばれました。




羊羹を『一棹…二棹…』と数えるのはこの様な歴史があるから♫




因みに~箪笥も『一棹…二棹…』と数えます。




何でも『一個…二個…』と数えていると『ら抜き言葉』と同じでその方の品格が問われますよ。




目指せ!藤井聰太さん(笑)