カテゴリ:歴史にキュンと恋して!( 127 )

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ノモンハン事件の詳細に関して今回初めて知りました。




ドローンから撮影したモンゴルの大地に残るのは塹壕跡。




ナスカの地上絵ではありません。
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NHKスペシャルでは司馬遼太郎さんからの言葉から始まります。
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歴史の授業では近代史(特に戦史はたった1行で名前・年号を覚えればまだ良い方)はページが少ない。
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モンゴル国では『ハルハ河戦争』とノモンハン事件の事を呼びます。
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此れはスターリンの指示で周到に準備されたソビエト社会主義連邦軍の塹壕跡。





弥生時代の登呂遺跡ではありません。79年前に日本とソビエトが戦火を交えた戦争の爪痕デス。





近代化された戦車がこの塹壕へ1輌ずつ潜んだ。

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ノモンハン事件ってぇか…事件ではなく戦争でしょう?





帝国陸軍は敢えて事件と読んでますが、此れは間違いなく日ソ開戦!






青色が関東軍。





赤色がソビエト・モンゴル軍。圧倒的な兵力量の差!(汗)
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欧州戦線ではヒトラーがスターリンと『独ソ不可侵条約』を締結し、ナチスドイツはポーランドへ侵攻。





その隙にスターリンは極東の満州へ兵力を増強。





ノモンハン事件が起きた当時は平沼騏一郎内閣。





昭和天皇や元老・西園寺公望は極端な国家主義を主張していた平沼騏一郎を危険人物と視ていました。




陸軍大臣は板垣征四郎(せいしろう)。




板垣征四郎は関東軍高級参謀として、満州事変の端緒となる柳条湖事件を主導した人物。




板垣が大佐、石原莞爾(いしわらかんじ)は陸軍中佐。




板垣征四郎は東京裁判でA級戦犯として絞首刑に処せられます。




後々の『靖国神社A級戦犯合祀』問題において板垣の存在がクローズアップされます。




息子の板垣正・参議院議員(当時)が『合祀取り下げ(分祀)』に取り組んだ。




同じくA級戦犯の木村兵太郎(へいたろう)陸軍大将の遺族と話し合った結果です。




しかし東条英機元首相の遺族はこれに反対し、分祀は頓挫する。





『世界最終戦論』満洲国建国を進めた石原莞爾は公職追放はされたが、東京裁判でお咎めなし。





石原は『満州事変を起こした私が、なぜ戦犯ではないのか』





石原莞爾に関しては改めて…
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ソビエト軍はシベリア鉄道で近代化された戦車部隊や航空機をノモンハンへ集結させていました。


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関東軍参謀部で勝手気ままな戦略を立てて実行した人物が写真の辻政信(まさのぶ)陸軍大佐。




半藤一利さんの著書や戦史歴史書や帝国軍人の証言を調べていますが…総じて悪評が多い。




半藤一利さん曰く『強行で好戦的な奸智を併せ持った軍人』と。





絶対悪!!!!!という言葉で辻政信を斬っている。
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関東軍歩兵は銃剣と火炎瓶のみの白兵戦。
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先程のドローンから空中撮影したソビエト軍の塹壕に関東軍から見えないように潜む戦車部隊の様子。

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旧ソビエト軍に保管されていたフィルムをカラー化して高速戦車部隊の様子も判ってきました。
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関東軍の戦車より銃口が大きくスピードが速い。
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こりゃ速い! 日露戦争の203高地の様な肉弾戦では勝てんだろうが
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辻政信は現場の部下達へ究極の精神論で叱咤激励しましたが、





ソビエト軍の近代化された兵器部隊や航空機などの圧倒的な兵力情報を知らないまま作戦を立案。





戦闘をしていた事実が判ってきました。





辻政信の様な人間が現代の日本にも必ずゐる。





国会議員や地方議員然り、官僚然り、スポーツ界然り…


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撤退した部隊指揮官に対して…





自決を迫り、本土の遺族には『何も知らない…』
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戦後…アメリカ合衆国をはじめとする聯合国に語った関東軍参謀の音声からは信じられない発言が続きます。
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一番ショックだったのは





関東軍幹部が笑いながら…天皇陛下の事を『天さん…天さん』と呼び、





統帥権干犯問題に関しても平気で破る発言をして、自分達は戦後も何も無かった様に生き延びていた事実。





満州国崩壊で、逃げる途中にソビエト軍兵士に殺戮、暴行された民間人を見捨てて





同胞を守るべき軍人が真っ先に逃げて、言い訳をするなんと馬鹿者が多いことか。





ソビエト軍兵士の性接待をさせられた女性たちの短歌に泣きました。




守り忘れたか 関東軍 婦女子残して また今日も南下する



日本に帰りたいと 静かに眠る友の顔 一夜明ければ動かぬ人に



自決のがれて一息つく間もなし 接待に切り替えられる

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誰も責任を取らずに『知らない…記憶にない…』





現在でも同じ事がこの国であります。





皆さんも思い浮かぶでしょうか?
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辻政信はノモンハン事件に関して『負けていない!』とその著書で主張していますが…




結果的に国境線はソビエトが定める。日本軍の負けです。




辻政信はノモンハン事件後は大本営から南方戦線へ移動させられたが…





『バターン死の行進』においても中心的な立場に。辻は捕虜の殺害を伝達する。私的命令だった。





川口清健(きよたけ)陸軍少将はガダルカナル島の戦いで大本営から派遣された辻政信に屈辱を味わった。





フィリピンで捕虜となったホセ・アバド・サントス裁判官を辻が川口の命令として勝手に処刑!!!!!





※ 抗日戦争の英雄。フィリピンの1000ペソ紙幣に肖像を印刷されてます。





川口はBC級戦犯として服役しましたが…





なんと!!!!辻当人は潜伏し、帰国後に戦犯解除され、作家・国会議員として戦後も…生きていた!





『マレー上陸作戦』の電撃的勝利や無念の『レイテ島決戦』で





【マレーの虎】と呼ばれた山下奉文(ともゆき)陸軍大将が遺した言葉が印象的。




マニラ軍事裁判で、BC級戦犯として絞首刑になった山下奉文は




辻政信の事をこう述べています。





『小才に長じ、所謂こすき男にして、国家の大をなすに足らざる小人なり。使用上注意すべき男也。』





辻政信は1961年に旅行先のラオスで突然失踪。行方不明に。遺体も見つかっていません。





CIAの暗殺説も出ましたが、スパイ容疑で処刑されたというのが有力な説。
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現在に至るまでノモンハンの乾いた草原には亡くなった兵士の遺骨が残っています。
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番組内で野ざらしとなった遺骨を御遺族へ帰してあげたい。





情けないしつらいよ。


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100回記念大会の夏の甲子園。




うわー懐かしい!




バンビの愛称で親しまれた坂本さんだ♫




首が長いからあだ名は…バンビ(笑)

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なで肩だし…




ワタシも非常に親近感を!(爆笑)
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今朝のレジェンド始球式は愛知県の東邦高校で一年生投手として投げた坂本佳一さん♫




現在は名古屋市に本社がある岡谷鋼機にお勤めです。秋田家の叔父と同じじゃん。(笑)
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東洋大姫路との決勝戦ではサヨナラホームランを打たれて準優勝。

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名古屋市立猪高小学校の2年生だったワタシも応援してました♬




この真っ白な野球帽に黒いTのワッペンを父親に付けて貰って社宅の野球チームの試合へ(笑)




バンビ坂本さんは憧れでした。
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少年の頃の憧れだった選手!




当時住んでいた名古屋市名東区。ボーイスカウト愛知75団の運動会を東邦高校グラウンドでやったなあ。




妹が通っていた珉光幼稚園が東邦高校の近所。名東区平和が丘。
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今大会に岐阜県から出場している大垣日大の阪口監督が愛知県の東邦高校を率いてました。




坂本さんは東邦高校へ入学してから初めてピッチャーに転向したそうです。(笑)

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まさに記憶に残る選手!
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毎日のレジェンド始球式が楽しみ!
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素晴らしいプレーと熱戦を繰り広げてます♫



8月5日  松井秀喜(星稜) 外角低めにワンバウンド

8月6日  石井 毅(箕島) 外角低めストライク

8月7日  定岡正二(鹿児島実) 内角高めボール

8月8日  牛島和彦(浪商)  内角低めにワンバウンド

8月9日  平松政次(岡山東商)  外角高めストライク

8月10日 谷繫元信(江の川)  外角低めストライク

8月11日 水野雄二(池田)  内角低めストライク

8月12日 本間篤史(駒大苫小牧) 真ん中低めショートバウンド

8月13日 坂本佳一(東邦)  

8月14日 中西清起(高知商) 

8月15日 安仁屋宗八(沖縄)

8月16日 板東英二(徳島商)

8月17日 金村義明(報徳学園)

8月18日 中西 太(高松一)

8月20日 第一試合 桑田真澄(PL学園)

      第二試合 佐々木主浩(東北)

8月21日 太田幸司(三沢) 井上 明(松山商)

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上野のお山の戦騒ぎの実像をNHK・BSで放送で拝聴しました。





写真は彰義隊と薩長をはじめとする官軍の戦が終わった際の寛永寺境内の様子。


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西郷隆盛から指示された大村益次郎が彰義隊鎮圧の指揮を。




本郷の台地に陣取った佐賀藩のアームストロング砲が威力を発揮。





時代が変わっても戦火の後は虚しさしか残りません。

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日暮里の経王寺さんには敗走する彰義隊をかくまったんで、新政府軍の攻撃を受けた銃弾痕が!

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現在放送中の『西郷どん』を興味深く拝見してます。 ここからが面白い♬




ワタシは西郷隆盛の情に厚いところに魅かれます。





『天は人もわれも同一に愛す、故に我を愛する心をもって人を愛せよ』





しかしながら『西郷どん』の視聴率が西高東低(苦笑い)。



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徳川将軍家のお膝元である上野のお山に西郷隆盛像が建てられたのは皮肉。





スタジオの歴史家の方々が西郷隆盛の役割はこの上野戦争で終わったとの評価が多い。





なんとなく西郷隆盛とマッカーサーを重ねてしまう…





今日は長崎原爆の日。 戦争に関する本や番組に触れてみよう。

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讀賣新聞の朝刊・一面に大平洋戦争開戦前夜の東条英機首相の様子を記した






湯沢三千男内務次官のメモが発見されたと記されています。
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いま読んでいますが、歴史的に貴重な資料。





1941年7月28日 軍事物資調達のため南部仏印(フランス領インドシナ)に進駐。

           

翌年、アメリカ合衆国が石油の対日禁輸などの措置。




9月6日 御前会議。対米戦準備を決定。昭和天皇が平和を願う明治天皇の和歌を詠みあげる。





10月18日 東条内閣誕生。昭和天皇の意を受け、外交交渉による対米戦回避の再検討開始。





11月27日 中華民国、仏印からの撤兵、三国同盟の廃棄などを求める

      



ハル・ノートの内容がアメリカ合衆国から届く。





12月1日 御前会議。日米開戦を最終決定。





12月7日 昼頃、東条英機が昭和天皇と面会。




午後8時半から、東条英機が湯沢三千男内務次官らに自身の胸中や天皇とのこの日の面会について伝える。





午後11時20分、湯沢三千男が東条英機の話をメモ用紙に記す。






12月8日  未明、日米開戦。真珠湾攻撃。
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アメリカ合衆国は日露戦争のポーツマス条約締結辺り(セオドア・ルーズベルト大統領)から、






すでに将来的に太平洋の覇権を巡って日本との戦争を想定して準備していた事を知りました。






真珠湾攻撃の際の大統領はフランクリン・ルーズベルト。皮肉なことに二人の大統領がルーズベルト家。





今回の湯沢三千男のメモ用紙から『すでに勝った』という東条英機の発言に驚きました…





以下抜粋





総理は微醺(ビクン)を帯び    ※微醺は…ほろ酔い気分





『全く安心セリ。斯クノご如キ状態ナルガ故二既二勝ッタト言フコトガ出来ル。』





と必勝ノ信念ヲ吐露サレタリ。





島国日本だけに国際的な観点から現状を把握しなければならない宰相が





非常に狭い視野だったのが残念です。

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送って頂いたチケットを乗車変更して名古屋へ。


お天道様がピカ〜っ!!!
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名古屋はピーカン!
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名古屋城へ。
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加藤清正のお出迎えです!
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復元された本丸御殿へ!

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加藤清正公で御馴染みの虎が!

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この釘隠しが♫

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この職人さんの細かい作業に噺家は同じ職人として惚れる!


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米軍の名古屋大空襲で焼夷弾によって焼けた天守閣と本丸御殿を当時の詳細な絵図によって再建♫




天井の部分(白い箇所)が未だ製作途中なのが分かりますか?


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三代・家光公と十四代・家茂公が上洛した際に寝泊まりした建物を!

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此れが素晴らしかった!




嬉しい!


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ため息が…♬

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復元作業をされた職人さんに敬意を表する!

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もう感激♫

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cool JAPAN!

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復元作業をされた職人さんに敬意を表する!

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このコンクリートの名古屋城天守閣とも御別れ。





木造建築で名古屋城天守閣が蘇ります!

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今朝の産經新聞に100歳を迎えた中曽根康弘元首相が









ロッキード事件一審裁判で、実刑判決を受けた田中角榮元首相へ宛てた手紙が掲載されてます。







手紙は当時の中曽根首相秘書官から田中角榮氏の秘書に託されましたが、








同氏秘書が本人に見せなかった為『幻の手紙』ともなった。早坂さんかな?(笑)









『国を救い、党を救い、内閣を救うために、ここ一ヶ月、バツヂを外していただきこの危局を救い、








選挙に圧勝するため、御無理を承知でお願ひ申し上げるわけにいきますまいか』








なかなか興味深い手紙です。政治家って大風呂敷で言うことがクサい!(笑)







謹啓。先般は御多用のところ、御懇談の機会を賜り、篤く御礼申上ます。






※ 謹啓(きんけい)つつしんで申し上げること。拝啓より敬意が高い。






その後、大兄の御所懐の御開陳あり、誠に感謝に耐えないところであります。






※ 所懐(しょかい)心に思っていること。所感。






※ 開陳(かいちん)人の前で自分の心のなかをありのまま述べること。






大兄と小生との信と義は国家及び党の危局に臨めば臨む程、益々固く深く終生血盟を以て之を貫く決意であります






※ 大兄(たいけい)男性が自分より少し年上、同輩の男性を敬っていう語。主に手紙で用いる。






御所懐の御発表以後、党内及び国民世論に好ましき顕著な変化が現れましたことは喜びに耐えません。








本日は、旧明治節でありますが御友情に甘え私見をお目にかけます 何とぞ御寛恕の程お願ひ申上ます






※ 寛恕(かんじょ)広い心で許してください。大目に見てください。





【寛】は気持ちにゆとりがある。【恕】は思いやり。相手を思いやり許す。






一、二審裁判の晴(青)天白日を確保することが最大の急務でありますが、最近の裁判官は昔と異り世論の動向に過敏であり、







この対策も高等戦略として法廷斗争同様大切であります。第一審に於てこの面の配慮と対策が不足でありませんでしたでしょうか。








第二審以降は高級審であり、更に与論の動向、情状酌量対策~第一審でも若干示された~にも細心の注意と新な対策が望まれます






※ 与論(よろん)世論。元々は『輿論』だったのを当用漢字に置き換え。






この点御所懐の発表は適切であったと思いますが更に検討すべき方策はないか、考究すべきと思ひます







二、次に政局問題につきましては、既定方針に基づき断乎邁進いたします。






※ 断乎(だんこ)固い決意で。






※ 邁進(まいしん)ひるむことなく、ひたすら突き進むこと。






茲に注意を要することは最近の与論調査の動向であります。






※ ͡͡茲に(ここに)ここ。明治時代の文章によく登場する。







二階堂君に内調の至近調査を渡してありますが、内閣及び党、激落しており、特に、婦人、青年層にい於て顕著であります。






※ 二階堂君~二階堂進氏。鹿児島県出身の政治家。趣味は田中角栄と公言するほど。






※ 内調(ないちょう)内閣調査室。現在の内閣情報調査室。






このことは若手の多い貴派や我が派に極めて不利で、一割減っても二、三十人は激減します。






※ 貴派(田中派)。我が派(中曾根派)。







必ずしも選挙は与論調査と同じでないことはよく承知しておりますが新しい事態でありますので







若し万一敗北、著しければ、大兄と小生二人の大敗退となり政局は大混乱に陥ります。








今度こそは二人共に絶対に勝たねばならぬ運命的な一戦であります。








その上に米大統領の訪日あり、国会の空転あり、この実状をみると、国を救い、党を救い、選挙に圧勝するため、








御無理を承知でお願ひ申上るわけにいきますまいか。







御勘考賜りたいのであります。






※ 勘考(かんこう)よく考える。因みに名古屋弁で、『勘考してちょ!』は~工夫して!とか値段をマケテ!






七年前大兄は離党に際し幹事長でありました小生を御信用下さいまして離党届をお預かりいたしました








この時局に、自ら決せられるか又は米大統領来日や国情を考えられて、小生に御進退をお預けいただけまするか。








切に伏して御勘考願上る次第であります。








この一挙によって、政情は一変し、党外に於ても、党内においても、攻守は主客を転じ、








三、福は顚転し、選挙は確実に圧勝し得ると確信します。






※ 顚転(てんてん)転がること。巡り廻ること。







それは又第二審を決定的に有利にし且将来の復党に備える天元の一石になると信じます。





※ 天元の一石(てんげんのいっせき)天元は囲碁の中心にある黒い★のこと。






先般の御所懐に全国民は感銘しましたが国民的感情は決定的に信愛に転じ、








更に明年以後永久に国会に辞職決議が提出されるを封じ政治レベルでのこの件を全く解消させる結果を惹き起すこと必然であります。








又このことは選挙の日を早めてよい結果を生むと確信いたします







大兄の御交誼に甘え失礼を省みず御願ひ申上ました。






※ 御交誼(ごこうぎ)とくに友人として親しい付き合い。






旧明治節の日に首相として、宮中にて直観しましたことをそのまま友人として認めました。







※ 直観(ちょっかん)霊感もしくは哲学的な用語。







御諒恕くださいますようお願ひ申上ます






※ 諒恕(りょうじょ)相手の立場や事情を思いやって許すこと。






先般申上げましたように、小生の大兄に対する信義と友情は全く永久に不変であり








十年の計の実現に腐心いたすことも申上げた通りであります。








今や大兄と小生は共生同死、大兄の生は小生の生であり大兄の失は小生の失であり、然も、日本の命運がかかっております。








その一心で認めました小生の哀情何卒御理解下さい








小生の涙は偽りや便宜の涙ではありません。小生の大兄に対する信情は天地神明に誓っての信情であります。








何卒この拙文御嘉納下さいますよう切にお願ひ申上ます






※ 嘉納(かのう)献上品などを目上の者が快く受け入れること。






晩秋の折呉々も御自愛下さい




                
                 恐惶謹言





※ 恐惶謹言(きょうこうきんげん)恐れつつしんで申し上げる。改まった手紙の末尾に添える。






十一月三日




               


           中曾根康弘








田中角栄大兄
       

      





      玉案下






※ 玉案下(ぎょくあんか)手紙で脇付に用いる語。机下(机下)







(事後御焼却願ひます)






田中曾根内閣と揶揄されながらも、文面を読むと決意は理解できます。






それだけロッキード事件の影響で新自由クラブ結成など自由民主党の支持率低下の危機感を感じます。








あの岸信介氏も田中角栄を見舞った際に、議員辞職を進言すると…







例のだみ声で『孫が~学校で虐められますんでな~』







とやんわりと断ったそうだ。(苦笑い)







この中曾根康弘氏の文面を読んでいると、様々な意見はあるでしょうが…







総理大臣の器だったんでしょう。






選挙に何としても勝って政権を取る執念を感じる。







昨今のリーダーの語彙力不足や言い訳する姿勢にいい加減にうんざりしてます。







未曾有の(麻生太郎氏)ミゾウユウ






云々(安倍晋三氏)デンデン






と読み間違えているようでは駄目なんだ。







中曾根康弘氏が麻生太郎さんについて…








『麻生くんは漫画ばかり斜め読みしてるから駄目なんだ。』(苦笑い)







言葉や手紙から生々しい政治家の生き様が見えてくる。








面白い♬












その中曾根康弘氏へ議員引退を申し出たのが小泉純一郎氏。











福田派だ。 福田赳夫氏の雑巾がけからスタート。








父親の小泉純也氏は岸派。






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中選挙区制時代は群馬県は4つの議席を巡り烈しい選挙戦が繰り広げられました。









小泉純一郎氏の師匠は福田赳夫元総理。








歴史は皮肉なもの。










自由民主党からは福田赳夫、中曾根康弘、小渕恵三、日本社会党からは山口鶴男。








何位で当選するかが? 重要になってくるわけです。








写真のジョークグッズは(笑)










群馬県にある『ながめ余興場』へお邪魔した際に…













漫談の『風呂わく三』さんのお客様から頂いたもの。



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現在は生産していないそうなので貴重品かな?












中野ブロードウェイにある『まんだらけ』で幾ら位になるかしら?(笑)










田中角榮氏関連の書籍も併せて読んでみよう。












































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歴史番組で毛利元就の特集を放送してました。




この連判状に注目してくださいませ。




非常に気配りのできるリーダーであった事が理解出来ます♫




昨夜の日本大学の会見を観ていてアメフトの指導者(体制)の問題点がハッキリした。


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篠竹さんという名将が居て、日本大学の系列高等学校からアメフト部で指導するOBもコーチ陣として





トップダウン方式で上手く機能していた頃は良かったんでしょう。





ところが…篠竹氏亡き後にアメフト部の組織の近代化が進めば良かったが、旧態依然の精神論のみ。





此れでは戦前の軍部や反社会勢力と同じだもん。内田さんは理事もお辞めになった方がよい。





ワタシが在学中に総長選挙でも週刊誌に黒い記事が掲載された事がありました。





勇気を出して会見した学生さんが哀れだ。





毛利元就の家臣が!遺した言葉に…





【君は舟。臣は水。】





【臣能く水をくつがえす】




リーダーが駄目な時はくつがえすんですよ。(政治の世界では政権交代がそう。)




昔はよく下級生に雑務の仕事をさせ、上級生は威張って踏ん反り返るのが当たり前でしたが…




スポーツの世界や我々の世界もそうですが、上級生が進んで行動する事が組織や家族や社会も上手く行く。




毛利元就の様に家族を大切にし、家臣と同じ目線の高さで行動し責任を取るリーダーが必要なんでしょう。




サッ~洗濯物を乾燥機へ。洗い物を進んでやりましょう!(笑)

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水羊羹を観音通り商店街の『京月』さんで購入♫



よう噛んでおあがり。




水羊羹などの『羊羹』ってジンギスカン?(笑)



ひつじちゃんが漢字の中に沢山入ってます♫



羊羹の羮は『あつもの』つまりは『野菜や肉などの吸い物』。



羊羹は『羊肉のスープ』だったのな。ジンギスカンじゃん!(笑)



古代モンゴルで食べられた羊鍋の煮こごりが名の由来。



中国では禅僧の軽い昼食として食べられていたそう。



『羊肉のスープ』である羊羹は鎌倉時代〜室町時代に禅宗文化と一緒に我が国へ伝わりました。




ところが家畜の羊が居ない、仏教で肉食を禁じたので…小豆を蒸したものを羊肉に見立ててスープへ。





(じゃあ?何で中国の禅僧は肉食OKなのか?と言う疑問が残りますが。  f^_^;)





んで…小豆を蒸したものを菓子として食べるようになったのが蒸し羊羹のルーツ。




薩摩の『軽羹・かるかん』は自然薯の名産地である鹿児島で生まれた山芋を羊羹状にした菓子♬




現在の寒天を使った練り羊羹は江戸時代からで、日持ちもするので人気が出た!




羊羹は長さ六寸(約18センチ)厚さと幅が一寸(約3センチ)の細長い棒のカタチで売られたので




【棹物菓子】と呼ばれました。




羊羹を『一棹…二棹…』と数えるのはこの様な歴史があるから♫




因みに~箪笥も『一棹…二棹…』と数えます。




何でも『一個…二個…』と数えていると『ら抜き言葉』と同じでその方の品格が問われますよ。




目指せ!藤井聰太さん(笑)

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チコちゃんが我が家でも大人気!




ボゥ〜っと生きてんじゃねーよ!(笑)
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んで…北海道は何故? 北海道となったのか?





番組のナレーションは札幌市出身の森田美由紀アナウンサー。
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3軒…札幌市西区には八軒って地名が有りますが(笑)





3県に分かれていた時期もあったのね♫
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松阪(まつさか)出身の松浦武四郎さま!
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『加伊』とはアイヌ語で『この土地に生まれ育ったもの』と言う意味。





母方の祖父は三重県員弁郡の出身。松浦武四郎さまと同郷。




父親の転勤で北海道へ引っ越しましたが…





不思議な感覚になる。

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緒方竹虎と云う言論人・政治家を初めて知ったのは高校時代だ。




テレビ番組の再放送で映画『小説吉田学校』観ていた時だったと思う。




吉田茂・総理大臣を森繫久彌さん、緒方竹虎・副総理を池部良さんが演じていました。




吉田茂に内閣総辞職を進言するシーンで




池部良さん演じる緒方竹虎が『田舎へ帰って、百姓でもやります!』




保守政治家には稀な誠実な人柄であったことは事実。




一緒に観ていたオヤジが歯がゆそうに




『こいつが生きとったら、今の自民党も~もう少し変わっとったかもなあ…』




丁度あの頃は…竹下登内閣で消費税3パーセント導入、リクルート疑惑で国会が紛糾していた。




今も大して変わらねえか?(爆笑)




その竹下改造内閣で法務大臣として入閣した長谷川峻氏が僅か3日間で!!!!!




リクルートからの献金が発覚し辞任。




任命した『ウィッシュ♬』DAIGOのお爺さんもタマランでしょうに(汗)




戦後政治史で任命から最短退任記録。





就任記者会見で『リクルートから金を貰っていたら此処にはいない!』って大口をたたいた…長谷川さん。





後にリクルート江副さんから政治資金を受けていた事実が発覚。





高校生のワタシも啞然としたのを憶えています。





長谷川氏に政治のイロハを教えた師匠は皮肉にも中野正剛と緒方竹虎。





長谷川峻氏も早稲田大学~新聞記者を経て政界入り。





東久邇宮内閣では緒方の秘書官をしていた。




あの中曾根康弘氏が『緒方先生は政治資金はきれいだった』と仰ってました。




その弟子がこんなことに…非常に残念。





さて、大学生の頃に緒方竹虎氏の関連書物は




中公文庫『人間・中野正剛』緒方竹虎・著や





岩波書店『評伝 緒方竹虎~激動の昭和を生きた保守政治家』三好徹・著を読了。





緒方竹虎の三男・四十郎氏の奥様が国連難民高等弁務官でもお馴染みの緒方貞子さん。





貞子氏が結婚した時は既に義父・竹虎は亡くなっていました。緒方貞子回想緑を!





小泉純一郎氏が初めて組閣した際に田中真紀子後任の外務大臣を





民間からサプライズで緒方貞子氏に入閣要請したが、本人が固辞されたのも記憶に新しい。

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この新書を読み切りましたが、従来のイメージとは違い歴史の裏側も垣間見えて面白かった。





今では安倍政権と完全対決姿勢の朝日新聞ですが…





戦時中の朝日新聞は満州事変以降、軍部と協調して体制派的なポジションになっていきます。





朝日新聞社出身の主な政治家は緒方竹虎・石井光次郎・河野一郎・細川護熙氏など。





緒方竹虎と河野一郎は全くそりが合わないのが何と無く分かる。(笑)





2・26事件で朝日新聞社が襲撃部隊に襲われた際の武勇伝は…




緒方竹虎を神格化したエピソードとして有名。




※【2・26事件は陸軍大尉・野中四郎ら青年将校約20名に引率された1400名の下士官・兵が首相官邸や警視庁など公的機関6ヶ所と東京朝日新聞社を襲撃。内大臣・斎藤実、蔵相・高橋是清、陸軍教育統監・渡辺錠太郎は即死。侍従長・牧野伸顕も辛うじて九死に一生を得る。三宅坂で上官の命令で反乱軍として立っていたのが、後の人間国宝5代目・柳家小さん師匠。】




※ 渡辺錠太郎の娘がベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』の著者・渡辺知子シスター。当時、彼女は9歳で、眼の前で父親が殺害される経験を持つ。ワタシも42歳の時に三途の川を渡りかけた時にこの本に救われました。泣いた。過去ブログを♬




※ 牧野伸顕の娘婿が吉田茂。牧野伸顕の父は大久保利通。





言論人としての緒方氏はリベラルな考え方でしたが…現実との妥協は厭わない動きをします。




育った地である福岡の右翼団体、玄洋社の頭山満や




修猷館中学の先輩である中野正剛などと交流が深いので右翼にも顔が利く。




戦時体制に協力しつつ朝日新聞社の存続と最低限の自主性を確保しようとした。




経営のワカル言論人だった訳だ。(之を良しとしない記者や社員も居たでしょう。)




盟友・中野正剛が東条英機首相と対立し、自刃したことで緒方竹虎は東条と真っ正面からぶつかります。




(因みに岸信介は東条内閣の商工大臣として入閣。満洲国・満蒙開拓団を積極的に推し進めた革新官僚。)





中野正剛の葬儀委員長を務めた緒方は東条の献花を突っ返しているエピソードもこの頃。





東条倒閣運動や終戦工作に関わることに。





1944年7月に小磯国昭内閣で国務大臣兼・情報局総裁として入閣(朝日新聞社を退社)。





終戦に伴って成立した東久邇宮稔彦王内閣で内閣書記官長(今の官房長官)に就任。




東久邇宮首相は国民から直接手紙を!と投書を呼び掛けて国務大臣・緒方竹虎のもとに特別機関を設けた。




緒方も政府が敗戦に至った経緯を国民に周知して戦時の言論統制を解き民意をくみ取ろうとした。




その手紙を皇族の東久邇宮稔彦首相に読んで聴かせていたのが…




戦後リクルート疑惑でスピード辞任した、緒方の秘書官である若き長谷川峻法務大臣だった。




しかし歴史って皮肉。(苦笑い)





この時に朝日新聞社関係者を閣僚や内閣秘書官や内閣参与に多数参加させたので




『朝日新聞内閣』と揶揄された。まあ実質的に『緒方内閣』と言っても過言ではありません。




ご興味ありましたら…佐々克明・著『病める巨象』をお読みください。






この頃の緒方竹虎の遺稿を抜粋します。




【鈴木内閣が辞職した後の局面は到底臣下で収拾できるものでもない。皇族の内閣首班といふことは平時にあっては勿論賛成できないが、いまの眼前の問題は、軍の不満妄動を抑へて無条件降伏の跡始末としての武装解除をし、連合国をして一つの突発問題なく進駐せしむることである。しかも一歩を誤れば、折角陛下が一億蒼生を憐ませ給ふ海岳の御思召から下された終戦の英断が無意義になるのである。此際は宮中も府中もない。臣下で͡此大任に堪える者がなければ、宮殿下を煩はすより外はない。しかも東久邇宮ならば平生承知する御性格からも必ず此大任を完了されるに違ひない、と考へたので、殿下の御決心を感謝し、直ちに犬馬の労をお引き受けした。小磯内閣の時と異り、今度は言下に御引受申し上げた。何となしに最近の健康が気遣はれたが、事態は健康を顧慮してゐる時でもないし、事実また局面の収拾如何によつては生命は幾つあっても足りないと考へたからである。今度は本当に死場所を得たやうな感で、半面身の果報をすら感じた。】

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この東久邇宮内閣総辞職の理由について併せて読んでいる『徳富蘇峰 終戦後日記』に記述がありました。




以下~蘇峰の日記を抜粋します。




東久邇宮内閣総辞職の直接理由として、朝日新聞に掲げたものは、極めてその要領を得ている。朝日新聞は、東久邇宮内閣の国務相にして、同時に書記官長であり、いわば内閣の総支配人緒方竹虎氏の古巣であるから、最もよくこの内閣の真相に通じていることは、当然過ぎる程当然である。



(参考資料)『朝日新聞』昭和20年10月6日 

    治安確保の問題と皇室への自由討議

    内閣総辞職の直接理由

東久邇宮内閣は8月17日終戦の善後処理を最高使命として発足して以来、聯合国軍隊の本土進駐、我が陸海軍の復員等の終戦事務を円滑に遂行、その間よく国内の治安を維持し、かつ民主主義日本の再建に必要な基本的諸施策についても検討、速度不足の憾みはあったが、順次実行に移してきた。終戦事務の一段落により内閣の任務は終了したとの理由で内閣の更迭を要望する声もあったが、適当な後継内閣の出現も期待し得られなかったので、首相宮殿下は次の総選挙の後に最大の政党による内閣の出現を予想され、それまでは内閣の改造を行ってでも国政処理の大任に当る御決意であった。ところが4日聯合国最高司令部より帝国政府に宛た『政治、信教並に民権の自由に対する制限の撤廃』に関する覚書により首相宮の御決意は一変した。辞職の直接の原因としては覚書の要求通り天皇陛下、皇室制度に対する自由な討議に関する制限を撤廃することは、この内閣としては到底実行し得ないこと、および内務大臣以下全国の警察首脳部の罷免および全特高警察機関を廃止しては国内の治安確保に責任が持てないという点にあるとみられる。更に根本的な理由としては組閣以来聯合国軍総司令部との連絡が不十分で司令部の意向と内閣の施政の動向との間に相当の開きが生じた事が挙げられ、之が最近に至って判然として来たことによるものである。ここに東久邇宮内閣は組閣以来50日にして退陣した。



※ 数字に関しては読み易い様に漢数字から数字に直しました♬





この時期の解説をお馴染みの山川出版社『詳説日本史』で読んでみると…


ポツダム宣言受諾と共に鈴木貫太郎内閣は総辞職し、皇族の東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)が組閣して、1945(昭和20)年8月末以降の連合国軍の進駐受け入れ、旧日本軍のすみやかな武装解除、降伏文書への調印を円滑に遂行した。しかし、『一億総懺悔・いちおくそうざんげ』『国体護持』を唱えて占領政策と対立し、同年10月にGHQが治安維持法や特別高等警察(特高)の廃止、共産党員はじめ政治犯の即時釈放を指令し(人権指令)、天皇に関する自由な議論を奨励したのを機に東久邇宮内閣は総辞職した。





東久邇宮が、緒方竹虎に期待していた点は言論人としての文筆能力・世論の動向に対する洞察力。



東久邇宮の演説内容、記者会見、放送原稿は全て緒方の筆によるもの。



こういう事実は学校では全く教わりません。




東久邇宮内閣は総辞職し、幣原喜重郎内閣が組閣します。





この頃に緒方が執ったのが『戦争責任は一部の軍国主義者、特に陸軍にあり』と云う路線。




公私共に米内光政とも近いから。反東条って立場。




この路線の延長線上で、東京裁判で海軍からは死刑判決は出ず、昭和天皇の責任も問われずに済み、朝日新聞なども存続を許された。
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しかしながら、こうした緒方竹虎への反発も強く1945年12月に自身もA級戦犯容疑者の指名を受け、公職追放されました。




※ 公職追放とはGHQにより、戦争犯罪人・陸海軍軍人・超国家主義者・大政翼賛会の有力者、政・財・官界から言論界に至る各界指導者21万人が戦時中の責任を問われて職を追われた事。





大田区山王草堂に残るこのハガキは五反田の自宅で蟄居中の緒方が熱海市の晩晴草堂に同じく公職追放された徳富蘇峰へ宛てたもの。




この頃の緒方竹虎は政界への復帰を想定して過去の自分を見つめ直す作業を始めたのかもしれません。




戦前に岸信介のように満洲進出を積極的に主張したわけでもなく、政治的指導者として深く関与したわけでもない。




但しGHQからの取調べは小磯内閣の閣僚として政権中枢に居た事が戦犯指名の理由だったのか。




緒方の小磯内閣への入閣は蔣介石との間に南京政府のミヨウヒンを介して和平交渉を試みた。




結果的に失敗に終わりましたが。(頭山満にも相談していた。)




恐らく戦犯指名は…近衛文麿の新体制運動に深く関わった点。朝日新聞主筆として軍に協調してきたこと。




大政翼賛会・翼賛壮年団の指導者であったことは紛れもない事実。





東洋経済新報社社長として『小日本主義』を主張して対外膨張を批判していた石橋湛山や





議会において自由主義者として阻害された鳩山一郎らがGHQによる公職追放を不当だとして





周囲の同情を得ていたのとは違い…緒方自身の政治的ポジションを語る必要から





対米戦に消極的だった海軍大将・米内光政の文章を書いたり、『人間・中野正剛』を執筆したのかな。





盟友・中野正剛は政党政治を否定しました。緒方はこの辺りの核心…どうだったんだろう?
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日本版CIA構想も吉田茂が緒方竹虎に任せるカタチで





進行していた事実も興味深いです。





高等学校の授業で戦後史は受験前で駆け足で終わってしまいます。





山川出版社の教科書だけでは内閣の名前を覚えるのが精一杯。





今回のアメリカ公文書から新たに判ったコードネーム『POCAPON』。





改めて公文書の大切さを実感しました。





同じ言論人の石橋湛山とは対極にいたんだ。石橋湛山~池田勇人~田中角栄が一つの流れ。






憲法改正の考え方なども、岸信介と緒方竹虎の進もうとしたベクトルは同じかもしれません。






アメリカ(アレン・ダレス)も極東の対日政策・反共という点で





吉田茂~緒方竹虎~岸信介と目を付けていたんでしょう。





今回のCIAとの繋がりで、緒方竹虎の国家観や別の表情も垣間見えて来た。





鳩山一郎とソビエト社会主義共和国連邦との急接近を緒方が特に警戒しているのがよく判ります。





政治の世界ってキレイごとだけでは無理なんだと。





先日のブログ記事で取り上げた『暮しの手帖』初代編集長・花森安治が




政府高官であった緒方竹虎の自宅を訪問しています。





その感想が『政治の匂いがしない。』





そんなところも言論人・政治家である緒方氏の魅力なのかもしれません。





急逝した緒方竹虎の弔辞を日本社会党の鈴木茂三郎が詠んだ。





『寒に耐ゆる白い梅がまさに開かんとして一夜の風雪に散った…』